これほどやりがいのある仕事はない

これほどやりがいのある仕事はない

企業理念みたいなもの #2

家具職人の仕事というのは、大まかに2つに分けられるようです。

1つは無垢材や集成材などを使って、テーブルやイスなどの個人住宅向けの家具を作るというもの。
飛騨高山の工房などが有名なところですが、もっとお求めやすいところだと無印良品の家具などを想像すると良いでしょう。
一般的に『家具職人』と聞いて連想するのは、こういった人達ではないかと思います。「作家」とも呼ばれる方もいらっしゃるのではないかと。

もう一つは、「芯材」という材料で作った枠組みを「ポリ合板」という化粧板で挟み込むようにして木工ボンドで貼り合わせる『フラッシュ』という技法を用いて部材を作り、それを組み立てて天板や見付けの部分にはメラミン(デコラとも言います)という1mmほどの硬い化粧板を速乾ボンドで貼り付けて、ひとつの家具に仕上げていくというものです。
もちろん、必ずしも毎回その技法を用いる訳ではなく、部分的にコンパネや集成材などを用いることもあります。
こちらは主に、ショッピングモールの飲食店や百貨店、美容院や居酒屋など、店舗用の什器を作ることが多いです。

*写真は僕が工場勤務当時に製作した店舗什器です。

僕がこれまで働いていた工場で行っていた仕事は後者です。
無垢のテーブルなどをつくる『家具職人』の方が、一般的には何やら高尚なイメージがあるようですが、前者と後者の仕事は似て非なるものです。
寿司職人のように長年の経験で蓄積された腕前がものをいう前者と比べて、後者は応用力と要領の良さが重要になります。
ああいった店舗什器は、工場の流れ作業のようなもので作られるイメージがあると思いますが、そういう作り方をするのはホームセンターに売っている既成品の家具であり、吊り棚やレジカウンターなどの店舗什器は、毎回図面を起こして製作されます。

僕がこれまで行っていた仕事は、昔で言うところの『3K』(キツい、汚い、危険)というやつです。
同じ職場の方々もみんな中卒・高卒の方ばかりで、どうやら高学歴の方が就く仕事ではないようです。

しかし、僕はこれほど高度にクリエイティブな仕事を他に知りません。
いかにコストをかけずに頑丈で美しいものを素早く仕上げるか、というのを頭と体をフルに使ってこなしていく。
他の業種も同じだと思いますが、いつも限られた予算と差し迫った納期が決められていているので、のんびりとマイペースで作る、などということは当然許されず、その現場ごとに寸法や仕上がり具合なども毎回違うので、当然マニュアルなどはありません。
引き出しや扉などが複雑に設置してある図面などを渡されることも多く、「こんなのどうやって作るんだ?」と毎回頭をひねっていたものでした。
化粧板の材料なども、いかに無駄なく使うか切り方をその都度考えなければならず、少しでも切り方を間違えてしまうと、高い材料をまるまる無駄にしてしまうこともあります。
なおかつ、機械に取り付けたむき出しの巨大な電動ノコギリを扱っているので、常に危険と隣り合わせ。恥ずかしながら、僕も指を切る、というより裂いたことも、一度や二度ではありませんでした。

2009年から2017年の8年間働いていた工場は親方がとても厳しく、少しでも見当違いな方法で仕事を進めていたら、怒鳴り散らされる毎日。精神的に叩きのめされて、毎回勉強する日々でした。
正直、ツライなぁ、情けないなぁといつも思っていましたが、仕事が嫌いだと思ったことは、一瞬たりともありません。

家具を作る。僕にとって、これほどやりがいがある仕事は無いと、自信を持って断言できます。

結局、先輩たちには技術的に追いつけないまま退職してしまいましたが、厳しい職場で何度も失敗して得た技術は、今後のmidd craftの仕事に大いに生かしていけると思っています。

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いつでも心に『秘密基地』を

いつでも心に『秘密基地』を

企業理念みたいなもの #1

僕は子供の頃、『秘密基地』が大好きでした。
学校の裏山や近所の空き地や神社など、小さな田舎町のあちこちに数多くの秘密基地をもっていたものでした。
とはいえ、特に何かしらの重要ミッションをこなす訳でもなく、漫画を読みながら駄菓子などを食べて、ただ漫然と過ごしていたように記憶しています。
ある日、近所の畑の近くの空き地に大量の木製電線ドラムが、まるで建造物のように積み重なって放置してあるのを見つけたときは狂喜乱舞したものでした。チョーシにのった僕らはススキが生い茂るその空き地でちょっとした火事を起こしてしまい、その夜父親にそれはもうこっぴどく叱られたのも、今では苦い思い出として残っています。

高校を卒業して就職で名古屋へやってきて、僕は会社の寮生活を始めました。
2年目になって仕事や気持ちに余裕が出てきた頃、僕は快適な部屋作りをすることに興味を持ちはじめました。
部屋にぴっちりと絨毯を敷き詰めたり、近くの『遊べる本屋』ヴィレッジヴァンガードで買ったグッズやポスターを飾り付けたり。
僕は今でも、部屋には蛍光灯を設置せずクリップライトや電球をあちこちに配置した環境で生活していますが、それはこの頃に始めたスタイルです。
そういう自分好みの環境を整え、ドリップコーヒーを淹れてお気に入りのCDを聴きながら読書をする至福のひととき。今と何一つ変わっていません。

これは、20歳当時に住んでいた独身寮の僕の部屋の写真です。
購読していた『ロッキング・オン・ジャパン』の切り抜きやポストカードをコラージュ風に壁に貼り付けるあたり、20歳頃の僕の感性もなかなかのものではないでしょうか?
よく後輩達が遊びに来て「ノダさんの部屋ってセンスいいですよねー」と言われて、鼻を高くしながらコーヒーを振る舞っていたことを思い出します。

20代の半ばには寮を出て、賃貸マンションを契約して住み始めました。
その頃には、ホームセンターで板や木材を買ってきて手を加える、ということも始めました。
OSB合板に着色ニスを塗ってスチールラックの天板にしたり、1×4のホワイトウッドとレンガで簡単な棚を作ったり。

そして2005年の春、家具製造の町工場に就職して、家具職人の修行を始めることになります。

現在住む古い借家にある家具は、無印良品のこたつ以外はすべて自作の家具です。
ほとんどのものはホームセンターで安くで購入できる建材などで作り、濃い茶系のツヤあり塗装を施しているので、決して小奇麗でオシャレな家具とは言えませんが、古い木造家屋と絶妙にマッチしていて、僕自身は常々とても満たされた気分で過ごしています。

そう、僕は40代になった今でも『秘密基地』に夢中なのです。

少年の頃、とっておきの場所で漫画読みながら駄菓子を食べていたように、今でも僕は好きなものに囲まれながらレコードを聴き、本を読み耽り、映画を楽しみ、コーヒーを啜っているのです。

昔と少し違うことといえば、木材を自由に加工して好みの大きさの便利な家具が作れるようになったこと。
工房で親方や先輩に叱り飛ばされながら何とか身につけた、僕の大事な両腕で。

あなたには『秘密基地』がありますか?

それを作るお手伝いを、ぜひとも僕にやらせていただきたい!と、常々思っています。

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